長年出版の仕事をさせて戴きながら、取材に消極的?なこの頃ですが、
林真理子さん。となれば話は別!
15歳の頃「ルンルン…」シリーズを読み、「あたいも上京してライターになる☆」と決めてから……夢の恩人である林さんには並々ならぬ思い入れがあります。
でも、20歳で某自然化粧品をあつかい始めてから、少しずつ世のならいに疑問を持つようになって、
林さんが『野心のすすめ』を上梓された頃から、
「ああ、自分は世の野心とメインストリームから逸れてゆくのだろう」と思っていましたが、
それでも通底和音のように、「林真理子という昭和少女のサクセスストーリー」は、心の奥底で鳴り響いていたと思います。
80年代って、ほんとうに特別な時代だった。泡の如く儚く果てしない夢よ…。
そんな林さんが連載を持つ『週刊朝日』にて、義母みつはしちかこと対談をしてくださるという。
今年から日本大学の理事長となられた林さんは、連載を大幅に削られ、今や対談は月に一度行うかどうか。
そんな希少な枠に、今年でちい恋こと 小さな恋のものがたり 連載60周年のみつはしさんをゴリ押し込…いえ、入れて戴けました。
「だって私みつはしさんのファンですもの」
というのは、あながち林さんのリップサービスではないかもしれません。
2014年に“ちい恋”の最終巻 を出版した時も、
(終わらなかったけれど)
「サリーの去り方が冷たすぎますよ」と言いながら対談してくださった林さん、今回もしっかり著書を読んで来てくださいました。
「ひとりで、後ろ向きで暮らしてもいいじゃない」というシニア独居エッセイ。
何十回「同居しませんか」と提案しても「絶対にいやよ!」とおっしゃる気丈夫は、嫁が嫌われているだけでなく🤣、こうした創作の原動力を保つためではないかと思います。
対談にて、林さんは「どうして20歳の時『美しい十代』に持ち込みをしようと思ったんですか?」
などマニアックな質問をいっぱいしてくださったけれど、みつはしさんの方は(本人曰く)夏バテと激務と、緊張と記憶低下でぐるぐる(取材時8月)。
某ホテルの大広間で対談する、そんな二人を取り囲むのは、SDGsのバッジを燦然と襟元に輝かせた方々。
学研社長氏、朝日元社長氏、そして記者や編集者やカメラマン氏。
緊張のあまり「せめて身内は覗かないでよ。部屋の外に居てよ〜」と言うみつはしさんですが、私も別の意味でぐるぐるいたします。高級な香水と、何かと何か、甘い化学物質が混じったものが充満しておりまして、
SheDing Goods!
しかし、仕事ですから
不肖の身内は、みつはしさんから見えないよう、社長たちが鎮座する椅子のうしろに隠れ、こっそり体育座りをしていました。
林さん、対談がはじまって開口一番、
「私、4回目を打って来たんですよ。みつはしさんは4回目はもう打ちましたか?」
体育座りのまま、コテン))))と床にころがりそうになりました。
息子や嫁に牽制されている(*)みつはしさんは、
「あの、あの、打とうと思うんですけど、なかなか仕事が忙しくて…」と会場の隅に目を泳がせる。
日大の理事長と同じようなロットが当たればいいけど、そうはいきませんて〜
林さんのショットにはカンフル剤でも入っているのだろうか。
「昨日は、仕事で北海道の釧路に行っていたんですよ!」
さすがと言うか、相手の、そして読者の旺気を喚起するような話題を気さくに、ざっくばらんに次々と繰り出されます。
昭和30・40・50年代。まだ娯楽も多くなくて、少女たちの憧憬や焦燥が今よりヒリヒリしていた、あの頃。
「あの頃は、ほんとうに漫画を読むのが楽しみでしたねえ…」。
低いアルトの声でしみじみと時代の想念を立ち上がらせる林さんの、包容力ある話ぶりは、多くの人を連れていき。しばし聞き惚れてしまいます。
ああ、やっぱり、一時代を築いた方だなあ。
数千万部の著書を積み重ねてきた女ふたり。
そういう林さんのご関心のひとつが「80歳を超えても元気に描き続ける原動力は?」ということでした。
原動力…と聞かれて、また81歳、言葉に詰まっておられましたが、
私から見れば、「鏡を見るとびっくりしちゃう!」という永遠の17歳心をとどめ続ける。或いはとどめ続けたいという想念のたまもの。
50の私よりずっと若い魂を、姑は有しています。
思い(オモヒ)より強きものなし。人生は想念が全て。
もはやインタビューというより、時代を築いた女たちの壮行会となっているその場には、
どんな陰謀も陰謀論も思惑も分断も介在できない、想念とその形が横たわっています。
だから、ほんとうは科学より文学のほうが強い。と思う。
エビ、エビ、エビデンスのエビ脳は、だから、想念でつきとめた科学には勝てません。
そんな怪物たちの土俵に、論外の嫁が何しに来たのかというと、誰も言えないずうずうしいことをおねだりする係として、長野から上京してきたわけ。
「あのー、この秋に『小さな恋のものがたり』最新46巻が出るのですけど、つきましてー、オビに林さんの推薦コメントをいただきたくー」
打ち合わせ済みであるにも関わらず、誰もが固唾をのんで見守る、、
ひとりぼっちでほそぼそやってる施術屋は、地位も遠慮も忖度もありませんから
「ああ、大丈夫ですよ。やりますよ。やりましょう!」
こちらが全てを言い終えないうちに、林さん、きっぱりと胸を叩いてくれました。
ほらね女丈夫。大丈夫。なんと頼もしいことでしょう。
遺伝子組み替え注射なんて騒がれる前から、
日本少女の魂の遺伝子に変革をもたらしてきた人たちですもの。
ミッション、さっくり終了。
反省。
皆さんが濃紺や黒スーツで固める大広間に、ひとりだけノコノコと農婦スタイルで闖入してしまいました。
長野の家にスーツなど置いていなかったんですもの。
もう、いかなる場面でもすべてこんな風体でして、
高級ホテルの対談場にももんぺと足袋シューズでおじゃましまして。
しかし、林さんにお目にかかった瞬間「あら、なんてお洒落なお嫁さん」。
お洒落なお嫁さん、、、、 いただきました🤣
ありとあらゆる最先端のモードを着尽くした方には、、50周くらい回って、お洒落に見えるのかも🤣
これでも40代までは、ドレスが大好きだったんです。ドレスを着たくて酒場の女将をやっていたくらい。
でも、たくさん着たからもういいんです。
おまけ
60周年記念Tシャツ を発売しております。
昭和期にはグリコさん森永さんとのコラボをはじめ、お菓子、バッグ、ハンカチ、缶ペンケース、ノート、便箋……あらゆるコラボレーショングッズをお披露目してきましたが、Tシャツを販売するのは、60年間で初めてだったようです。
好評につき、現在は予約注文制となっております。上質のcottonでお仕立てした、気持ちの良いTシャツです。
(✳︎)
💉について。
「私はおかあさんに100歳くらいまで働いて戴こうと思ってます。ですから、健康の不利益になるようなことは絶対に申しません」
こんな言い方を実の母親にもしたことがないのに、受け止める義母は度量が大きいと思います。
「そんな、あなた。100までも働きたくないわよ」と目を白黒させていますが、作家とはえんえん書き続けずにはいられない生き物。
彼女が最後の最後まで描き続けられるよう、あらゆる局面でワルな嫁で居る所存です。
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