日々厚い、熱いメッセージやおたよりをいただき、皆さんのパッションに驚かされます。
施術のご感想 も嬉しいですがブログのご感想も…。
もはや皆さんのメッセージ自体が、文芸作品か祝詞に見えるのです。一部、匿名ご掲載させていただきました。
ブログ御感想
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当サロンを訪れる方々から、よくいただくご相談のひとつが、「どうしたらブログをのびのび書けるか」。
でも私自身が、思うがままにブログを書き、発信したいことと合致するようになったのは、ごく近年です。
ブログを始めてからそうなるまで10年近くかかりました。いちおうプロライターなのに。
文章業だけやっていたころは、「誰でもモテ文章が書ける…文章術1000」というマネタイズ意欲まるだしのブログを運営し、アクセスが欲しいがために怪しいコンサルタントに師事していたこともあります。
しかし、渾身の力でイキって書いた“文章ノウハウ記事”ほど読まれねえ、
フンフンフーンと鼻歌まじりに書いた美容健康記事ほど受けるんです。「なんで」といつも臍を噛んでいました。
今も鼻歌まじりでは、決してありません。常時何十本も「下書き」としてエントリーしては、そのまま消えゆく記事も多いです。
月並みすぎますが、「書ける」ためにはどうしても、「読める」力が必要で、それにはビジネス書や実用書でなく、文芸書も読まねば、なかなか養えないものだと思います。仕事のためでないものを。
逆にいえば、毎月、何冊も小説を読んでいるのに全く書けない! …という人はあんまりいない気がします。
文章を自由にコントロールしたい人は、ビジネスの近道をしようとせず、小説を楽しんで暮らしたほうがいいのではないか。いまの閉塞的な世はチャンスですよね、あと数年間はこんなでしょうから。
それに。施術やセラピーで根本的に深い治癒をめざそうとすると、どうしても「ストーリーの書き換え」が必要になってきます。
なかには器具で擦るだけで「前世が見えた!」みたいな、えらい勘のいいクライアントさんがいるけれど、未来にせよ過去にせよ、そこで振動するのは「ストーリー」
……イマジネーションや感覚が中心だとしても、そこから自己治癒に結びつけるためには、やはり語彙や文章力を使う方が多い。
なので、私もカウンセリングから意識して(できているかは別として)、√2的な治癒の感覚をお伝えするには、文芸の力を借りないとならない気がします。
SNSを眺めていても、文芸力のある医師や治療家は深みが違う…
自分には1970年代の、医業 兼 文芸活動をしていた渡辺淳一の初期作品の影響などが大きいので、よけいそう思うのかもしれません。
↑小6だったと思う。夜な夜な病室を抜け出しては、街で行きずりの情事を重ねるご婦人の話が忘れられません。
「ちょうだい、ちょうだい、あなたのホルモンをちょうだい!」(うろ覚え)
あれは何という名の作品だったでしょう。男性のホルモンをほしがったご婦人は何の病気だったんでしょう。
医術だけで病気は治せないことを早いうちから教えてくれた作品だったと思います。
そして今、施術を重ねるたびにつくづく思う。
ーーどんなに「前世が見えた」「過去世が見えた」、どんなに「深い!」と感じられても、施術者がほどこす器具施術は、やっぱり対症療法の域を出ず、クライアントが自分で、今生の「自分の物語」を紡ぎ出せないと永遠に治療はおわりません。
クライアントをみても、この人は小説とかを書くことでしか癒やされないんじゃないかな…?と思う方がいます。
クラスに1人か2人くらい。あなたはそういう人ではないでしょうか
?
そんな文章力はない!と思われるかもしれないけれど、
先年、芥川賞を60代で受賞された、主婦Wさんの初めての習作、というのを拝見したことがあります。
これは書いてはいけないことだと思うので後でデリートしますが、その文章力を見て、誰もが勇気を持てると思いました。
このような段階からでも芥川賞に行けるのだと。数年書き続ければ、誰でも化ける可能性はあるのだと。
内海式精神療法 でも、最後の締めは小説を書かされることだそうです(一般人がクリニックで受診する場合は一回8000円×全6回。そのうち2回はうつみんご本人がカウンセリング担当だそうです。そう高い金額ではないかも?)。
ご参考になるかは甚だ怪しいですが、ここに私の習作を貼り付けておきます。
難しい語彙や特別な文章力がなくても、原稿用紙100枚くらいは綴れるという、目安になるのではないかと思います。
これを書き上げてまもなく施術業をはじめた、移行期的私小説になっている、、という観点で、主人公のジタバタぶりも滑稽なのではないでしょうか。
作家を姑にもつさえないライターが主人公ですが、
“現実の素材をきちんとフィクションに仕立てあげ、この時点(2017)では早川の持てる力の総決算だろう”と師匠・根本先生に言って戴いたので、そう読むに耐えないレベルではないと思い(たい)。
将来、作品として使う日が来るまで大事に温存しなさいと言われましたが、いつまでも懐で温めていても、腐っていくような気がするので、出しておきます。
人は誰でも、自叙伝が一冊書けるというけれど、
自分が苦もなくセラピスト業を営んでいるのは、その直前まで苦しんで苦しんで、こんな人生の宿題を、一冊提出しきったからではと思います。
自分のコンプレックス、恥、欲望、積年のルサンチマン、そして作家への敬愛を書ききって。もうこれ以上つらいこと、怖いことがあるかいな そらブログものびのび書きますわと。
私以上に「あなたこそ、吐き出してみてください」と思う方々がいます。
最初は、芥川賞のWさんのように、原稿用紙5枚からでもいいと思います。
どんなに稚拙でも、自分の物語を綴ろうとする人の誠実さを見逃さない、文芸のドクターが、こういう場所であなたを待っています。welcome!
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