「まだ若い俳優さんが、自死されたりで、がっかりして、気力がなくなってしまい……」
というお便りをくれたお客様がいました。
がっくり、しましたね。 なかなか、癒えないですよね。
むかし、芸能記事の仕事をたくさんしていた頃、
その、若い俳優さんに、インタビューさせていただいたことがありました。
舞台の取材でした。
彼は、まだ十代だったと思います。
いつものように「お声を録らせていただいていいですか?」
と、小さなパンダのぬいぐるみに入った録音機をテーブルに置いたら、じーーっと彼は見ている。
じーーーーーっ。
(どうかしたんだろうか)
「いやです…」
「えっ」
「……って言ったら、録音をやめるのですか?」
「……?」
「聞かれたことなかったんで」
そう言う彼の顔を見ると、てらいもなく、うがつでもなく、もちろん意地悪さもなく、
でも、どこか虚ろなような。
今にして思えば、お疲れもあったのではないかと。
「……いえ。(両手をついて)そう言わずに、どうか録らせてください…ってこう、お願いをします。なぜなら」
真面目な人には真面目に、と、おもいました。
「テレコで録らせてほしいのは、ただ取材内容のバックアップに使うんではなくて、
時間とか、だんどりとか、私の思い込みとか、いろんな制約のある取材中には気づかなかった対象者の、小さな変化とか化学反応とかも、あとで検証したいからなんです。
そういうことは、芸能誌の短いPR記事にはおさまらないし、必要ないことが多いけれど、
ほんの少しだけ表現を深めることはできる、そう思って書くことは大事だと思っています。勝手ですけど、だから、録音をさせてください」
と、実際はこの三倍くらいしどろもどろな説明をし、
そこにいた関係者みな「何を言うてんねん」みたいな顔をしてらっしゃったのですが、
彼は小さく苦笑して、「真面目ですね」と言いました。
真面目すぎる人に言われたね。
そこからのインタビューは滞りもなく、
自分のことばをひとつ、ひとつ選びながら、
 
時にはつかえたり、もどかしそうに、言い直しながら、きちんと話してくれる姿は、
はらはらするほど真面目でした。
十代とは思えぬ話しかた。
もっと雑で、ラフで、楽にしていいのにと、すこし痛ましくも思えました。
芸能人を撮り慣れているはずのベテランのカメラマンが、何度も、
「綺麗だね…。彼は綺麗だね…」と小声でうなっていました。
それは外見の綺麗さだけでなく、どこか彼の内面の儚さを反射していたような気がします。
「こうやって、自分にも他人にも、おろそかにしないものを突きつけるのだなあ」
という重さがあったせいか、
数百回も重ねた芸能インタビューのなかで、
捨てずに残した十幾つかのデータに、彼の音声も保存してしまっていました。
いま聞き返すと、少年だった彼の、当時はわからなかった思いが……
と、書けば格好つくかもしれませんが、やはり、ほんとうの気持ちなんてわかりっこない。
こうやって、
通りすがりのライターに、10年後も音声データを残され、余計なことを書かれる予感があったから、
「いや」と言ったのかもしれません。
大丈夫です。先日の新月の夜にデリートしたから。書き垂れたりしない。
どうか、より自由に、より綺麗に光る何かになり、行きたいところへ行かれますように。
真面目をきわめた人だけが見える、大事なところと繋がっていたのじゃないかと。
そんなこと、私よりも何万ものファンの方々が、わかっていらっしゃるんでしょう。
元には戻らない、戻れない世界になってしまって、逝く方は先に逝き、冒頭のような不安な方も多いかもしれないけれど、
今まで私たちが見つめていた真摯なものが、
今度はあちら側から、
真摯なものを見つめていてくれるのかもしれない、

そう思うことは、楽観的すぎるでしょうか。
十年前の夜より。

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