たまに歩く、高田馬場駅から早稲田につづく大通り。
……の路地裏は、学生街ならではの庇護感と、うんざり感が同居していて、ちょっとおかしいです。吐き乱れる学生も、戻ってくるかな
9条改正反対の看板を掲げる方の家。たった一軒で周囲に半端ない“森”感があふれてる
この街で、よく、安くてうまい薬膳で栄養補充し、穴八幡詣でをします。
こちらは免疫アップによいんです。「コロナ期に巡りたい東京100神社」というのがあったらトップ10に推したい、抗インフル神社です。
◆
約30年前、この街を友人同級生たちが闊歩していたころ、私の彼氏は軍事オタクで、ことあるごとに基地などに連れこまれて、航空ショーにはいささか食傷気味の思い出があるせいか…。
医療人を励ますという名目でひこうきが飛んだ日、私は空を見上げる気にならず、おいしそうな店を求め、路上の匂いをくんくん嗅いでおりました。
私の5月はコロナどころでない重荷を背負う方たちと密・密な月で、おなかがすいてたまらなかったのです。
たまに医師などが、「目の前で何十人、何百人と、人に死なれたことのないセラピストや健康家が、医療うんちくなど語るな」
というようなことを、おっしゃいますが、そんな医療人の気持ち、何十分の一かはわかりますよ。
そして、おなかがすくの。
しんどくても、おなかはすくのね。
そんなわけで、クンクンしていたら、早稲田通りから「地蔵横丁」という小道にかけて、ふっと空気の匂いが変わる一帯がありました。
あとから聞いたことには、そこらは戦争で焼け残った、奇特な一帯。
古くから住む人懐っこい住民が、地域ネコを可愛がったりしているそうです。
大通りとは、エネルギーが違うエリアなんですね。
数十mゆくと、よい感じのカフェを見っけ、
いや、待った・・
そのカフェの向かいに、とても不思議な感じの、2棟の集合住宅がありました。
何が不思議かというと。
建物を特定させるような有機的な指標がなく、磁場がほかの住宅地と違って、なにか硬質なんです。
「?」
敷地に入っていくと、足元のドクダミをはじめ、妙に色濃い草木が生い茂り、一部のトキや空気が止まっている。しかし、清潔なエネルギーもある。
その建物から出てくる20~30代くらいの男女は、一見ふつう。妊婦マークを付けた主婦らしい方もゴミ袋を片手に出てきました。でも、なんだか無機的な空気感が。
なんだろう、この違和感。
?
あとで、カフェのおかみさんの説明を聞いて、納得しました。
彼らは、その向かいのカフェに入ってはいけない人種なのです。
韓国の、ある信心をもつ団体が、そこを、アンチパワースポットとして旅行の記念写真を撮りに来たりするという。
でも“気”が悪いわけではない。ある意味、日本という国に守られている一角なんです。
もう出オチというか半分ネタばらししているけれど、カンを砥ぐ練習にはもってこいなので、エネルギーに敏感な方は、ぜひご訪問してみてください。
で、その向かい側のカフェ。
ここは間違いなくパワースポットでした。
「戦闘機なんか飛ばして、医療従事者がほんとうに喜ぶのかしら。なんだかピントがずれてない? お上が何かをコントロールしようとしている感が、癪なのよね」
っていう、声が聞こえてきて。
あきらかに波動のよい、高音のティンパニのような、粋な声なんです。
あっ。自由だ。自由が、喋ってる。
お茶だけでもいいですかと覗くと、ほがらかなおかみさん、「もちろんよ~ おほほほ」と招き入れてくれた。
そして目に飛び込んできた、壁の一角を彩る、ぬくもりあふれる手芸品の数々。
スウェーデンゆかりの品々だそうです。
「ねえ、コロナ対策の、スウェーデンモデル ってどうなの?」
と聞かれて、ウーーーンと考え込んでいる20代スウェーデン人らしい男子や、近所のおかみさん。
スウェーデン君は、日本手ぬぐいで、マスクを自作したそうで、口もとが「ぬるを」ってなっています。
いろはにほへとちり「ぬるを」 かね。
自粛期間らしくない、くつろいだ時間が、ここには流れていました。
おかみのケイ子・アナグリウスさんは、
「私、スウェーデンでテキスタイルを教えているんです」
ほう、手芸の先生ですか。
何気なく聞いていたのだけど、
「1960年代にJALを退職し、スウェーデンに渡って、国立学校の門の前に座り込みして、入学させてもらって、現地の手工芸をまなんで」
ほう…。
「でも失語症になってしまって、アートで治療をする学校でまなんで」
うん…。
「日本に帰国後、ユネスコのプロジェクトで、1994年からアート イン ホスピタルという事業をはじめて」
うん ?
「長野の鳥獣保護区の山奥にアトリエがあるの」
!?
「この写真はね、わたしが手がけた、ノーベル医学賞の選考会場のアート」
!!!
凄い人やった。
国宝級のアーティストやった。
今でこそ、日本の医療施設は、カラフルな色調やデザイン建築、さまざまな視覚的工夫がなされていますが、
ギブスのランプ
1990年代半ばまで、ずーっと白・灰・白・灰・白・灰で殺風景だった日本の病院に、初めてこうした本格アートをもちこんだのが、彼女。
日本中じゅうの医療機関から見学者が殺到し、とても驚いて、
それから病院は、パステルカラーになったり、曲線や立体オブジェを取り入れたり、お庭をつくるようになりました。
今のマリメッコなど、北欧デザインブームの先駆けとなったのも、この方。
著書を10冊ほど出している彼女に、いただいた本(2016年刊)が、これがまた、、
こんな冒頭からはじまります。ピンチアウトできるかな。
久しぶりに私は、ひとの文章を読んで泣けました。
どこか、固まっていた部分を治療された気がする。
読むくすりって、こういうのじゃないかしら。
くすりが欲しいかた、良かったら、「カッフェタンテン」をたずねてみてください。
日本人が見たことのないような、アロマコスメ、ハーブティーも、たくさんあったよ。
たとえば、こんなくすり。
豊富な栄養より、免疫を高めるサプリより、最先端の医療知識より、
まずシンプルなエネルギーを。
彼女は、コーヒーしか頼まなかった私に、まっしろな手作りのパンと、手製の苺ジャムを運んでくれました。
そのときから、私のアートセラピーははじまっていたのかもしれません。
著者近影
ケイ子さんの世界を(なるべく)壊さないように、以下は、本のコラムから引用とキャプチャーでご紹介します。
『赤い傘』
病院の白い壁は時々壊されていたり、汚れて居たりします。大きな面積でのダメージを受ける場合ではなく、ほんの少しだけ強烈に汚れているときもたくさんあります。私はその汚れの大きさに合わせて絵を描くことが多く、そのときは壁に血痕が一つ汚れを付けていたので、そこに赤い傘を空に飛ばしてみようと描きました。そのとき傍に高齢で在宅酸素を吸入した女性が通りかかりました。
「あら……」と傘を見上げて立ちどまり、それから小一時間ほどその前から動きませんでした。しばらくして、私を呼び止めて
「ね、私ね、この傘で空を飛んで来たの。すごく楽しかったわ」と。
後で聞くと、もう一年も外に出かけることも、まして廊下を散歩することもない人だったのです。
『廃材の端切れ』
「捨ててしまう木の切れ端がこんなに美しいものだとは思いませんでした」
院内で仕事をする私の後ろで、涙に濡れた声が聞こえました。振り向くとその方は嗚咽しながら言葉を続けられました。
「今、僕は癌の宣告を受けました。僕の仕事は大工です。僕の人生は何だったのか。悲しい思いで一杯で…この波のような作品は、もしかしてあの材木の切れ端ですか。いつも汚いからと捨てていたあの切れ端ですか」
「はい」と答えると静かな笑顔が見えたのです。
「うれしいです。ありがとう。僕の仕事も、もしかしたら綺麗な仕事だったのですね。棄てられてしまう端っこの木だってアートになれるんだね」
私の傍に立って幾度も、廃材アートを触っていらっしゃいました。捨てられていた自分の人生もまた素敵だったのだと。
『ヨットハーバー』
私の大きなタペストリー作品の一つに、ヨットを刺しゅうしたものがあります。入退院を繰り返すがん患者さんが言いました。
「いつも不思議に思っているの。私が退院するときには、このヨットの船先が私の家路方向を示していて、再入院するとヨットの先は病室を差しているのよ」
私はそのように作ったつもりはありませんが、彼女の思いの中ではその風景が寄り添って出迎えているのだろうと思っています。いってらっしゃいとお帰りなさいという思いの「道具」であるのかもしれません。
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