カタカムナという物理学

 

「カタカムナってなんですか?」と、今日もCS60のお客様に聞かれました。


「日本語や古事記など神話のモトになっている、上古代の量子力学です!」


うーん、それではわかりづらいかな。


私がこの5年ほど勉強させてもらっている、カタカムナの勉強会に、「カムの風」というブログがあります。

 そこで代表のHARUさんという方がまとめてくださった、カタカムナの定義が秀逸なので、この記事に引用させていただきます。

 

 

 

▼その前に、蛇足ながら私の補足。

 推定3万年前~1万5千年前に築かれたカタカムナ文化は、いまの日本語……ヤタノカカミ、ミコト、マカタマ、ヒフミヨイ…そうしたコトバの概念や、カミなるものの概念……日本神話の大元となったといわれます。

 

そのため、占術や歴史学、神学的なアプローチで関わろうとされることも多いのですが、

 

下記のとおり、カタカムナを戦後の日本に出した(実際は、その前に既に利用されていた痕跡があるようです)、

物理学者・楢崎皐月によれば、直観物理に合理した生活技法、特に、その学術的技法」ということになります。

 

私個人は、今まなんでいる量子力学との共通点から、「カタカムナ量子力学」と呼んでいます。

 

技法として、まだまだ自分には使いこなせていませんが、数万年前の上古代人のように、ウタヒの音波を松果体に響かせて、よりよき未来の予知や、選択や、生存のために使われるべく、それは、この2020年のわれわれ子孫に残されているのだと思っています。

 

 

下記ブログの記載主は、お人柄ができているので、

「ーーそういう側面もカタカムナにはあるのかもしれない」とやさしく書いていらっしゃいますが↓ 

カタカムナのマーク(図象文字)というのは、

 

 

こういう化学的記号のようなものではないかと思います。

 

これをプリントし、パワーがある?と商品化されているグッズを、私も否定はしませんが、それはこうした表層(マーク)にパワーがあるというより、グッズを扱っているお方そのものにパワーがあるのではないか、と思っています。

 

カタカムナを勉強すればするほど、このマークではなく、「ウタヒ」という音波を響かせるほうが、「直観物理に合理した生活技法、特に、その学術的技法」として、使えるのではという思いは年々強まっています。

 

とはいえ個人的には、施術前などに、この5年間でやっと1000回ほどウタヒを上げられたでしょうか。

 

モノと響き合うような波動になるまでは、あと9000回くらい上げて、『相似象』を読み解き、心を磨く必要がある気がしています。もぐもぐ先は長いのね…

 

 

 

 

 

以下、引用です。

 

 

 

カタカムナとは

昨今、縄文文化や古代文字に興味を持たれる方が増えている。
上古代の文化と言われるカタカムナについても様々な解釈がされている。
「ヒフミヨイ」で始まる五首六首のカタカムナウタヒをとりあげて、
「ヒはこういう意味、フはこういう意味、・・」と、もっともらしい意味付けをするものや、1つ1つの音(単音)にあてがわれたマーク(図象文字)にエネルギーが宿るとして、それを商品化するものまである。

たしかにそういう側面もカタカムナにはあるのかもしれない。
しかし、それがカタカムナのすべてであると思ったら大きな間違い、もったいないことになる。
世の中に出ているどの解釈も、まだカタカムナの本質的なことに触れていない。

カタカムナとは何か。

それはカタカムナを世に出した楢崎皐月・宇野多美恵両氏による共同研究の成果である「相似象学会誌」、その第3号の冒頭の言葉に集約される。

――――――――――――――――――――――――――――――――
一.直観文明カタカムナ

I 「カタカムナ」とは何か?
動物や植物の多くは、天変地変を予覚する。殊に、地震の発生や、異常な天候気象の変動を予知して、生存のため合理的善措を構ずる機能を保持して居る。

現在の人間には、そのような予覚機能は、退化又は麻痺して居る。カタカムナの直観文明や文化を開発した我国の上古代の人達は、恐らく健全な予知機能の体覚に基いて、人類最初にして最大の文明を獲得して居たと想はれる。

その文明とは、天然や自然に系はる高度の物理を、直観によって把握したものであり、彼らの文化とは、その直観物理に合致した生活技法、特に、その学術的技法のことである。
(相似象学会誌3号p.5–6)
――――――――――――――――――――――――――――――――

【解説】

動植物は、予知機能を持っている。生きるためにその機能を駆使して、危険を察知すれば即座に逃げて回避する。

彼らは転変地変を予知することができ、「危ない」と感じたら「逃げる」という措置を講ずる。
現代の人は、その機能が退化している。
機能がなくなったわけではなく、退化している状態なので、リハビリすれば復活する可能性がある。しかしその復活方法は楢崎も見つけていない。

「機能しないのは松果体が作動していないからである」
             -これは関川二郎が発見した。

松果体は子供の時は機能しているが、第二次性徴を迎えるころに機能が停止することが分かっている。これに対して、チベット密教では一日中念仏を唱えることで松果体の
機能を維持しているといわれている。

「予知」とはどういうことか?

予知、すなわち「未来を感知する」ということは、すでにどこかに未来が生成されているということに他ならない。

どこにそれはあるのか?

上記の文章の中で楢崎は、未来が生成される場所を「天然」と称し、私たちのいる現実世界のことを「自然」とし、明確に分けていることに注意したい。

私たちの概念では、「天然」は「自然」よりも本質に近いものという程度の区分けであるが、楢崎のいう天然は、自然とは全く違うものとしている。

天然は、現実(自然)の奥にあり、未来を生成する見えない世界を指しているのである。

私たちがなじんでいるこの世界(自然界)には、実際には二つの空間が存在していて、1つを天然界という。

天然界は未来を生産しており、動植物はそれを感知して生きている。

カタカムナの時代(はるか上古代)には、人もこれを知覚できる機能を持っており、それを駆使して生活を営んでいたはずである。彼らが残したものがカタカムナ80首のウタヒである。

ウタヒには、二重構造を持つこの世界の具体的な仕組み、「物理(モノのコトワリ)」が書かれているのである。

【まとめ】
この世界は二重構造になっていて、片方は現象界、もう片方は「天然界(のちに潜象界と称している)」という。
現象界は私たちの知覚する(見える聞こえる触れる)世界であり、天然界は見えない聞こえない触れない世界であり、現象界をささえ、未来を生成している。

 

—–


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です