微熟女です。先日このようなイベントに出ました。作家の原田ひ香さん、高橋源一郎さんのお話に、数百人のライター、作家が食いついていました。
有料講話ですので本当は書いてはいけない?かもしれませんが、作家や、作家志望の方、文章を向上させたいかたに、ぜひお伝えしたいシェアしたいエッセンスがあります^^
おもに、文章術向上をきわめようと思ったら、文学(多様性)を読むことに行きつくのかなー…という方に向けています。
アメーバブログという(ビジネスブロガーが多い)ものを運営する方の中には、文章=いかに情報を端的につたえるか、だとする方もいます。
そういう方から見ると、意を異にする内容があると思いますが、共有できる部分もいっぱいあると思います^^
◆
「同業者としての、皆さんへ」と話してくれた中から、箇条書きでピックアップさせていただきます。3つくらいに分けてUPすると思いますが、最後に文章術決定版!?のひとつをおとどけします。(高橋源一郎さんより)
以下。
◆3.11以降、こころある詩人、作家たちの多くは混乱したままである。でも、作家として「これからどうする」とは考えないほうがいいと思う。「何が起こっているか」を考えたほうがいい。
◆僕(高橋氏)は3.11でショックを受けなかったような作家はしょうがないと思っていたが→今は皆がショックを受けているようではだめだと思っている。
谷川俊一郎さんに「3.11以降、書くものが変わりましたか」と訊いたら「いや全然」とおっしゃった。格好いい。自分は変わった。今、この社会は崩壊寸前であり、自分が死んだあとに崩壊すれば知らなくて済むかもしれないが、すぐ、そこまで来ている。
実際に、3.11以降に作家たちがどうしたかというと、普段書いているようなことしか書けないから、書かないでいる。
◆3.11後、新聞などのコラムで、知識人がみな判を押したかのように同じことを書いていた。
曰く、「敗戦の風景、焼け跡の風景と同じだ」「66年前と重なる」
しかし、そう書く人の多くは50、60代。実際に見た人はいない。テレビや新聞で見ただけ。ウソだよね。書く人はそういうことに、自覚的でいないとね。
◆日本のどの新聞より早く、ニューヨークタイムズから「震災について書いてほしい」と依頼され、自分は3/17付の同紙に寄稿した。村上龍と、評論家の東浩紀も寄稿した。
皆だいたい「戦後という時間は、これで終わった。起こったことは悲劇だが、日本はこれで変わるかもしれない。閉塞感はやぶれ、新しい共同体になるかも…」というようなことを書いた。
でも、そうはならなかった。ウソだった。
意見は別れるだろうが、自分は「3.11以降、この国は悪くなった」と考えている。
特に悪くなったのは、「ことば」だ。
この国は、シーベルトとベクレルの違いを皆がわかるという、世界で唯一の民族になったにも関わらず、ことばは単純化、一元化しつつある。
わかりやすい例が、「反原発派か」「原発推進派か」みたいな。
※
この後が真骨頂になってきます。つづきます。
【さらに楽しまれたい方は、押してくれたら1杯】
おごるかも
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