作家の器量が知れる風景描写 『わたしを離さないで』

10時のおやつのつもりで『わたしを離さないで』という本を読み始めたら、すごい勢いで読了しました。頭がグラグラします。ブッカー賞のほうしか読んだことがなかったですが、文体が違う!

わたしを離さないで/カズオ・イシグロ

¥840

レビュー群を読んだら「こっちが傑作です」と皆さん強気で言っておられます。3月に映画化するそうですね。

【あらすじ】

優秀な「介護人」キャシーは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設ヘールシャムの親友、ルースやトミーも提供者だった。

キャシーは施設内での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護管と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。

彼女の回想は、ヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。—-全読書人の魂を揺さぶる、ブッカー賞作家の新たなる代表作。

「事態の全貌が明らかになった時、読者は血も凍るような恐怖感を覚えることになる。魂の奥底にまで届くような衝撃がある」 とは脳科学者・茂木健一郎さんの書評。

上のあらすじを読んで「その手の話か」とピンと来た方もいるでしょうね。ネタバレすみません。でも文庫カバーにそう書いてあるの。

現代医学の倫理感に一石を投じる……のみならず「涙が止まらない」「胸がヒリヒリして何も出来ない」というレビュー夥しいところを見ると、そういう見地から読む方も多いようです。ヒューマニストにもぜひ。

私がもっとも衝撃をうけたのは、「少年少女育成のうわべに隠れた、暗い秘密の示唆」……をとりまく、端正な風景描写です。

例えば物語のファンタジック・サインとして、荒涼とした海辺の町が描かれています。

その淡々とした最低限の描写なくしては「完全に幸せな子ども時代を書きたかった」という作家の意図がきわ立ってこないんです。きっと。


何年か前のあるとき、知人の編集者さんが、いっしょに遠方取材に出かける電車(約2時間)の中でハリポタ丸1冊を読破されました。

「はやっっ」と驚いたら「だって会話と人物の言動しか追わないもの。風景描写とか地の文は斜め読みです」と。

その方はライトノベルのドル箱編集者と言われているんですが、合理的な彼にとって、「ライトノベルの資料として本を読む場合、ブンガクの部分は必要ない」というわけです。なるほどな。

逆説的に言えばライトじゃないノベル……ブンガクをブンガクたらしめる一つの構成ファクターとして風景や自然描写は、存在理由があるのかもしれない。それを「抜いた」読み方は「ライト」な読み方になる。

そして、私は物凄くこういうものを書くのも読むのも、苦手になっているな~とカズオ・イシグロ先生を読みながら思いました。

こういう方の描くシンプルな「森」の「木」の「一枝」も今のわたしには描写できません。

すると「発想」自体がかなり奥行きのないものになりつつあるということに今更気づかされました。

ここ2~3年、実用書やビジネス書ばかり読みすぎてバカになっているんだな。もともとかな。

…とザワザワさせられる点でも、近年で比類を見ない小説でした。
物書き志望さんにも、ライター仲間にも、絶対に読んでみてほしいと思います。ショックで仕事ができないので、私は今から森へ写生でもしに行きます。


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