私の義母はみつはしちかこ(78)という作家です。
初恋をテーマにした『小さな恋のものがたり』(昭和の四季の中に生きる女子高生チッチと、のっぽのサリーのラブコメディ)を58年間、描いています。著作はたぶん累計3000部を超えていますが、カウントしきれていません。全力で書いてきました。
「一つの物語を続けるご長寿作家として、そろそろギネスに申請しましょうか」と編集者に言われ、
「いえいえ。世界にはもっとすごい人がいるでしょうよ」と頑なに拒絶していたシャイな人ですが、このごろ「他にはいないのかしらね……」と、遠い目をするようになった、そんな孤独の域です。
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同じものがたりを描きつづけているので、数年前、数十年前に描いたものとネタが被ることが、しばしばあります。
春にはお花見ウッフン、夏はビキニでいやんエッチ、秋には焼き芋おならがプスン、クリスマスやVDともなればライバル美女に嫉妬メラメラ。
ネタ詰まりとか、繰り返しのギャグではなく、天のリズムに沿ってインスピレーションで創作されているので、四季のように循環するのでございます。
親・子・孫と今や三代にわたる読者は、以前の十八番とのちがいを見て喜ぶという、ツウな読み方をしてくれています。
例えばこんなシーン…主人公・チッチの友人「マユミ」のバレエの発表会をめぐるコメディ↓
2019年9月末刊行 『ちい恋通信』より
似たようなシーンが、
1985年発行 『小さな恋のものがたり』19集より
ふたつを見比べると、漫画をあまり読まない方でも、お気づきになると思いますが、
似たシーンでも、1985年と2019年では、線の勢いや情感がずいぶんちがうのです。
34年前は、筆の勢いがよく、線数も多く、漫画としての色気も濃く、ラフでワイルド。
いっぽう、勢いも線数も減ってきた2019年の絵は、そのぶん情感のあるような。ひょうひょうとした味があり、熟練を感じさせるような。
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そんな作家の「かきかた」を、身体的な面で見ると…。
かすれ、細くなり、角ばっている2019年の絵は「肩」でお描きになっているんです。
重度の鬱や心不全など、「ふつうの人なら生きていない」と大学病院で言われた大厄を経て、今は、肩で息をしながら描いておられるから、さもありなん、
それに比して1985年、40代前半の体力ギラギラで描いた線は、丸く、健康的で、勢いがよい。
ゆび先で、スラスラッと曲線が描けていたのです。ですので肩も腕も、コロコロ、まるまるして、どこにも尖りがなかった。
今、先生を見ていると、年々肩が尖ってトゲのように鋭角になっています。(実際にはそんな尖りはないのですが、整体的なイメージ)
専属の整体士さんがついているのですが、私もたまにCS60をさせてもらいます。
とてもシャイな昭和乙女「足の裏は絶対見ないで」なんておっしゃるので、全身の細部を確認しづらい。おまけに我慢強いのでめったに声も出されないのですが、
尖って見える、肩の“三角筋”に触れたとたん、「イデデデデーーッ」って漫画みたいな声を出されました。
やっぱりここや。
大先生の脳味噌というか、バッテリーは、いまは肩にあるのです。
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出版業をやっている仕事柄、作家たちを施術させていただくことも多いですが、皆さん、書くためのバッテリーや気合の置き所、平たく言えば力んだり、歪みの出る場所がある。
友人の作家で、小説の新人賞を受賞して活躍しつつも、今後の作品の方向に悩んでいる方がいる(悩まない方なんていないですが)。そして下半身や第1チャクラに力がある時とない時では、作風が異なるように見える。
そこで、グラウディングできるようなダンス(ズンバ)をお勧めして、“時”をまってくださいとお伝えした。CS60で力みが取れた後はそういうことを言いやすい。
彼女はきっといつか芥川賞か、その先の賞もとれるから大丈夫だと思っています。
そんな作家たちの身体の詰まりや力みを、どう解放したら、もっと自由に書けるか…が感覚的にわかる(ような気がする)のは、長年出版業や本の仕事に携わらせてもらったおかげと思います。
古くから付き合っている出版や作家仲間からはいまだに、「あんたCSナントカとか、何やってんの?」と不審そうに言われますが、「いやそれが、繋がってるんだよね…」とニヤニヤして言うしかないんですが。
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