女の「降りる勇気」

先日、神奈川県の相模原方面の某温泉に入っていたとき、とても興味を惹かれるご婦人をお見かけした。

 

推定58歳、美にとても関心がある女性。と、その職場の後輩さん(たぶん)。

 

たとえ温泉とあろうが一抹の睫毛も落とさぬ。

乳は垂れても爪は欠かさじ。

 

というような気合に満ち満ちて、御手とご尊顔(かなり美人)を、湯舟の外に保全していらっしゃる。

ネイル、温泉に浸けすぎると剥がれやすくなりますものね・・・こんな気合の方、久しぶりに見ました。

彼女を、仮に「ジャスミン」さんと呼ぶことにします。

アメリカで言ったらインディアナポリス、日本で言ったら川崎出身。本名はジャネットなのだけど、その平凡な名前に倦んで、SNSではジャスミンと名乗っている。なので職場の同僚も気を使ってジャスミンと呼んでいる。そういう設定です。そういう雰囲気があった。

最初、店長の“カバーかけが異様に遅い”ことについて(まさか書店勤務?)語っていたジャスミンと後輩さんの会話は、美容へと流れていきました。

 

「あたし、あと80本盛ろうと思うんだ。今度○〇サロンで、プラス100本付け放題キャンペーンをやるんだって」
 

--どうやら睫毛エクステンションの話題です。
「え、それ以上、付けるんですか?」

「うん。上はそこそこになったけど、下睫毛がちょっと寂しいんだよね」

「そうですか…。もうふっさふさに見えるけど…」

「だって、キャンペーン、×000円なんだよ」

「え、そうなんですか。いいな。わたしも本当はもっと増やしたいけど、今の時期、乾燥してるせいか取れやすいんですよね」

「ちゃんと保湿しなきゃだめじゃん。○×オイルとか使ってる? あと、うつぶせで寝たら絶対だめだよ。まつ毛が取れるからね」

「えへへ、わたし雑なんで」

 

と、いろいろアドバイスをしてくれるのは、後輩にもありがたいと思うけれど、あきらかにジャスミン先輩は付けすぎである。後輩も「え、それ以上」…っていうのを、もうひと押ししたほうがいい。ふさふさを超えて、栗かウニのイガみたいになりかけておられる。

 

日本女性のまつげ本数の平均は、上下合わせだいたい150~200本(片目)と言われます。

ジャスミン先輩は自まつげ合わせ400本くらいついている感じ。まつげ盛りの限界を超えたまつげ盛り。かつて渋谷を闊歩したコギャルよりフェス感がある。

 

そういえば先日、月収1000万円くらい稼いでいらっしゃるという、凄腕の50代女性にお会いした。質のよいスーツに、完璧なアイメイクでクラス感が醸し出されているけれど、これまたふさふさすぎる400本フェスのようなまつ毛で、目のやり場にすこし困ったのです。かつてのコギャルも驚くフェスまつ毛、、それがのる肉土台に、弾力のなさ、不明瞭さがあると、どうしても、見る方を不安させるものがある。

昔、サイエンス番組で見た「年老いたイソギンチャクの暴走」、(遺伝子のエラー)、みたいな印象がしてしまうんですね。

中高年はあんまりふさふさし過ぎないほうが、キレイなのではないかなあ。と、人のふりを見て、うろたえる次第。
40後半の自分は、睫毛にマスカラを塗るのすら、「わ。汚いっ」と思うことがある。
できるだけ繊細に、腕をぶるぶる振るわせて、息を止めて描くのだけど、ちょっとでもダマになると、「わあ、、、」。。わかいころは、そんなことはなかった気がする。

 

そこで、ふと、ビューラーをやめて、目のキワだけに、マスカラを付けてみる。
すると、これが、なかなか落ち着いていいあんばい。マスカラだけでも、少し毛の端がくるんとカーブするんですね。これも中年のうちかもしれないけど。

 

カールじゃなくて、カーブ。このくらいがTPOによっては、おばちゃんはおさまりがいいのではないか。


こんくらい

 

 

なぜ、ビューラーや、マスカラのフル塗りを「やめよう」と、今まで思わなかったのか。ふと思った。
 

長年やってきた「何となく、このくらいやれば、社会の既視感におさまるでしょう」的なことを、自分の意志でやめるのは、あんがい難しいのかもしれない。

 

そしていつまでもフェスのなかに居続けたい自分のおもろさ、みたいなことを客観視するのも、じつは年をとるほど難しいのかもしれない。彼女たちのような美容フリークスたちは、そういうことを考えさせてくれるので、嫌いじゃないです。

 

 

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