チベット圏外の外国人として、初めてチベット医(アムチ)となられた、小川康さんのトークイベントに参加しました。
葛根湯やびわ茶、チャイから、本格コカ・コーラまで、自然の薬草で作るワーク付き
東北大学薬学部を経て、薬草会社、農業などに従事したあと、数字すら数えられないという語学力でチベットにわたり、チベットの東大といわれる「メンツィカン」で現地エリートに混じり、東洋四代医学のひとつ、チベット医学を志した小川康さん。
その学業のハードっぷりを聞いていたら、気を失いそうになる。
日々、朝5時の読経から真夜中まで勉強尽くし。3000メートル級のヒマラヤの山々で、命がけで数kgもの薬草を採取する鬼実習を何度も経て、辞書数冊ぶんの分厚い経典を丸暗記し(4時間以上かけていっきに暗唱する卒業試験付き)、足かけ10年の歳月を経てチベット医の資格をとるまでの、日々・・。
「もしかしたら神様は、薬草をお創りになったとき、わざと一番大切な有効成分をぬきとったのではないだろうか。それは「汗」と「苦労」という成分。その成分が人間によって加えられたとき、初めて効能が発揮されるように。―――」
しびれたのは、その自伝の、小説ばりの描写。情熱が一文一文に込められ、時にはエモすぎる。
読んでいるうちに、まだ見ぬチベットの風景にもすっかり魅せられます。でも油断していると、高山の崖から真っ逆さまに地獄へ滑落するような、スリリングな描写が待っている。
時々、読んでいて「わあっ」て声が出そうになるので、電車のなかで読むのはおすすめしません。
―――高度0000mにその水鏡を横たえている聖なる湖「ラツォ」、その周囲にしか生えない薬草ミンチェンセルポの描写・・・
厳しく美しいチベットの風景は、ふるさとの富山の雄大な自然にオーバーラップし、「越中とやまの薬売り」としてのあたたかな矜持や郷土愛にもつながっています。
神秘や奥義に関わることには、冷静な考察が綴られ、チベット医学の扱われるべき地位に傷がつかぬよう、科学者としての慎重さと敬意も伝わってきますが、
それでいて、読者のカンや閃きを促すような、ふしぎな磁力があるのです。
たとえば――奈良の正倉院に納められていた一片の薬草が、ヒマラヤの「胡黄連」につながっているお話。
「胡黄連」は富山の有名な和漢薬「反魂丹」にも配合されている・・・その「オウレン」という文字を見るうちに、あれ? ひょっとしてこれは「飛燕草(ヒエンソウ)」の仲間では? と、なぜか思いつきました。
そして調べてみると、ビンゴ。「ヒエンソウ」の地下部分は、「オウレン」の代用品として消炎、止血剤として用いられるそうです。
「ヒエンソウ」、ことスタフィサグリアは、私の親和性あるレメディのひとつで、「父の娘」的なへこみが発動した時にいただくと、こころが晴れます。もしかして、このオウレンという漢方も、そういう症状から発する女性の胃痛や落ち込みに、相性が悪くないのかもしれない。
なんてね、素人のあてずっぽうですが、こんなふうに読者の「クスリ心」を喚起してくれる、わくわくが詰まっている本です。
でも、実際のチベット医学生生活は、そんな神秘的でおもしろくて格好いいことばかりじゃないらしい。
経済的先進国人?であるがゆえの、驕りや自意識が原因で、学校との間に溝ができ、心身にダメージを受け半年も休学した・・・などの情けない出来事も、正直な筆致で綴られています。
本当につらかったのだろうな・・・。そして最後の、卒業試験(4時間半、気絶しかけながらぶっ通しの暗唱)の過酷な様子ったら!。
そんなに苦労して習得したチベット医学じたいも、近代医学との大きなジレンマを抱えているという。
それでも、
草を楽しみ、草に楽しさを込めたとき、初めて「草」は「薬」になる。
そんな表現から、「大地の薬剤師」としての楽しさがあふれてきて、私なりに医学、薬学への心からの敬意があふれてくるのです。
本当におもしろい本。
こちらは、一般書店やネットストアには置いていないようですが、イラスト入りの薬草図鑑っぽくておもしろいよ。うちのサロンに置いておきますので、ぜひ遊びに来てお手に取ってください。
今度、小川さんを長野に訪ねてみたいと思います。興味のある方ぜひご一緒に。HPはこちら。森のくすり塾
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