先日、事務所の近所のバーで、年上の麗人と知り合いました。ショートカットで細身。すこし神経質そうな眉根や、すーと静かに煙を吐く仕草が美しい方です。名前を「Y野さん」といいました。しばらく犬猫話などをしたあと、Y野さんはこんなことを言い出しました。
「暗い夜、3つの道のどれか1つを通らなきゃいけないとします。
(1)は必ず精神異常者が出没する道
(2)必ず幽霊が出る道。
(3)必ず宇宙人に遭遇する道。あなたはどれを選ぶ?」
むう…。ただでさえ自分の精神に自信がないのに精神異常者、はヘビーな気がするし、幽霊は信じないといいつつ、血まみれや超五体不満足だったら、ビジュアル的にいやだ。
「宇宙人」を選びました。
「ふーん。その道を選ぶ人って、地球外生命体は自分に危害を加えないという、能天気な思い込みがあるよね」
するどい。
たしかに(3)を選ぶ人間は、未知や未来に対するムジャキさや、無条件に新しいものを恐れぬアホさがある気がします。
ちなみに、Y野さんは「死んだ人間に生きている人間が負けるわけがないので」(2)だそうです。
リアリストで賢い人だな。
「Y野さんは、いったい何屋さんですか?」と聞いたら、「漫画家です」とおっしゃる。「へえー」って反応したら、「Y野朔実といいます。知らないと思うけど」。
Y野朔実 だとう?
「知らないわけがないじゃないですか」自分でも酔いがさめるほど大声が出ました。
中~高校時代、私がもっとも感銘をうけた漫画家のひとりと言っていいかもしれません。「上京してお会いしたいんだ」と思っていた。まさかこんなベロベロの形で・・
◆
萩尾望都など「文學少女漫画」と呼ばれるジャンルの、私中では金字塔です。
もっとも心に残っている作はこれ。多くの作家も賛辞しまくっている作品です。
少年は荒野をめざす 1
中学生作家・狩野は女性であることを否定してただよう…。学園コメディとしても読めます。
「…深い」「ときどき意味がわからん」とおもいながら、十代、何度も読み返しました。あまりに熱中しすぎたために、父親に焚書にされました。庭で本当に焚火にされたので、今は文庫版を所有しています。
「女の子の笑いは意味が深くて底が浅い」「男の子の笑いは意味が無くて底が深い」
なんていう法則を、若干25歳ぐらいで書かれている。
◆
そんなY野先生が隣にいるなんて。なんて。なんて。
「ふうん、あなた小説も書くの」(ええ、先生から見ると碌でないものを、ちょっぴり…)」
酔いがまわった私は「一世風靡した先生ならではの“今”や“現況”、作家論を書いてほしいです」と無遠慮にリクエストし、嫌がられました。
「あなたはいったい作家なの。編集もやるの? 何者なの」。
作家というのは、相手が作家かどうかハッキリさせたい所がありますね。
…何者だろう。先生から見て、ビジネスや実用書著者は作家とは言わない。うれない電子小説を数本書いても作家とは言わないだろう。じゃあ、雑文書きでしょうか。
「そうね、あなたと話していても、生涯を書けて書きたいようなテーマが見えてこないもの。もっとそこらへん考えたほうがいいよ」
ピシャリと言い放った先生は、フラーと立ち上がって、帰っていかれました。
なんて格好いいんだ…。
先生に嫌われた無遠慮なリクエストが、自分のテーマの1つではあります。でも、それは作品テーマではなく単に人生テーマかもしれません。
Y野作品では、「双子」や「分身」というモチーフが多く使われ、デジャブ的、スピンオフ的な人物相関が繰り返されます。
私はあなたの鏡で あなたは私の鏡 私はいつかその鏡を破壊して世界を発見していく
のような、存在確認とか自己の確立にかかわるテーマを、ずうっと作品にれてました。
「あなたに、生涯かけて書きたいテーマが見られない」と言ったように、彼女はあるテーマを繰り返し追い続けています。
「そのことは彼女にとって、時に幸福な事実ともなれば、時に残酷な事実ともなるものだろう」と言った解説者がいました。
孤独な研究者のようなY野先生は、ここ数年はあまり新作を発表されていない。だから私の無作法なリクエストにむっとされたのでしょう。でも、怒らせてもいいから、もっともっと書いてほしい。—–
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